わたしにとっての #おっさんずラブ

はじめに

 9月27日の情報解禁後(正確には26日の23:15のTwitter更新後)から信じられないくらい泣いた。悲しくてさみしくて辛くて、怒りもあったし、めちゃくちゃ落ち込んだ。10月9日現在は無に至り、そういった負の感情が落ち着いた。わたしは1年4ヶ月間おっさんずラブの何を愛し、S2制作の何が悲しくて、何が許せないのかを整理したいと思う。
 いつか読み返した時に楽しくて愛しい1年4ヶ月間だったと思うために。

おっさんずラブとの出会い

 Twitterで話題になってるからと興味本位で見始めた第4話。今思えばラブストーリーとしてのスタートと言っても過言ではない4話から見始めたわたしにとっておっさんずラブはコメディではなく、ラブストーリーだった。はじめて見たときの感想は商業BL(少女漫画と言ってもいい)のコマ割だ!だった。春田の感情は基本モノローグでの説明で進行し、牧くんはモノローグもなければ、誰かに想いを吐露する場面もない。ただ表情やしぐさから痛いほど想いが伝わってくる。そういう表情を逃さず、丁寧に撮っているラブストーリーというのが最初の印象だった。
 もともと、作品の作り手がどんな想いで制作をしているのかを知るのが好きなため、自然とスタッフやキャストのインタビューを読むようになった。おっさんずラブに関わる人達の思いを知るたびに、この人たちはこの作品が大好きで、つくるのが楽しくて仕方ないんだ。なんて愛に溢れる作品だろうと思うようになった。わたしにとって大切なように関わる1人1人にとっても大切な作品であると分かることが嬉しかった。

連ドラとしての欠点の無さ

 わたしにとって連ドラおっさんずラブは欠点が無かった。逆に言えば何かが突出して一番好きという部分もない。あの脚本を、あの俳優達が、あの編集で、あの劇伴で作られたからこそ意味がある作品で、何か1つでも違っていたらここまでハマっていないと断言できる。牧くんが林遣都じゃなかったら、牧くんの想いがもっと言葉で説明されていたら、あのタイミングであの曲じゃなかったら、あのタイミングでCMが入らなかったら、1話1話の区切りが異なっていたら…あげるとキリがない。今でもあの連ドラがあのメンバーで生み出されたのは奇跡だと思っている。

劇場版おっさんずラブに対して

 愛してやまない連ドラがキャストスタッフ続投で映画として帰ってきた。出して欲しいと望んだ関連グッズが発売されては喜び、出演者のインタビューを読み、ブルーレイを繰り返し見ていたわたしにとっては願ってやまないご褒美だった。そして、制作された映画の内容にもまったく不満はなかった。恋人になった2人が恋の先でどんな問題にぶつかっているのか、2人が向き合った現実、2人にとっての結婚の正解を模索する姿に胸を打たれた。また、2人を現実に向き合わせたことでこの作品は連ドラ以上にLGBT問題にも触れる作品になったように感じた。連ドラはコメディという手法で誰しもが感じる恋の楽しさや切なさを描いていたが、劇場版はさらにその奥、2人が家族になるにはどんな問題があるのか、2人が同性カップルであるが故の悩みを描いている。「作品の本質をコメディという手段を用いて伝える」というおっさんずラブならではの魅力がきちんとあって、やっぱり大好きだと心の底から思った。

S2制作への悲しみ

 ことあるごとに完結と言われてもパラレルワールドが作られるとは思っていなかった。あの世界で別のカップルを描いて欲しいというのが続編に対する願いだった。S2制作発表直後は春田と牧、天空不動産編のメンバーに会えなくなること、あの世界で幸せに暮らすであろう2人に会えないことがさみしくて仕方なかった。
 28日夜田中圭モバイルサイトのブログが更新され、また1つ悲しみが加わった。あんなに撮影が楽しくて仕方ないと言っていた田中圭になんでこんなことを思わせなきゃいけないのか、そこまでしてパラレルワールドとしてやる必要があるのか、大切な作品だと嬉しそうに語る田中圭にとって、楽しいままの作品であって欲しくて、少しでもマイナスな感情を抱えて欲しくなかった。田中圭だけじゃない。わたしにとってもスタッフキャストにとっても大切だった作品を大切に扱ってほしい、なぜ大切にしてくれないのか。それが悲しくて仕方なかった。

S2制作に対する怒り

 悲しみと同時に怒りも少しずつ湧いてきた。単発→連ドラの流れがあるとはいえ、連ドラ制作時からシリーズ化しようという目論みがあったようには思えず、このヒットを利用したようにしか感じられなかったからだ。単発版は「どうして居心地がいい同性と結婚しちゃいけないんだっけ?」というプロデューサーの作品が生まれる元になった考えが色濃く出ており、家事=女性的役割といった描写や同性愛に対する偏見、その脚本に基づく春田の性格まで作品の根幹が何もかも違う。後に田中圭を含め、制作陣は反省があったと語っており、連ドラは単発版の面白かった点を生かしつつ、単発版の反省を生かして制作されている。パラレルワールドではあるものの、単発版は連ドラの原点であることは間違いない。そしてその原点を生かした物語で春田と牧は結婚した。ならばその世界線で別のカップルで人を愛することを表現して欲しかったし、コメディを織り混ぜ、同性カップルの悩みにも触れながらそれを描くことができたのではと思う。
 またパラレルワールドに飛ばすこと自体が作品の魅力を歪めているとも感じた。おっさんずラブはコメディとしてもラブストーリーとしても上質だが、本質は間違いなく人を愛することの楽しさと切なさだったはずだ。コメディはそれを表現する手段に過ぎない(瑠東監督のインタビューでも度々目にする)。でもパラレルワールドに飛ばすとどうだろう?その純愛ですらコメディのように感じられないだろうか。どんなに胸を打つラブストーリーが描かれたところで、またシリーズを重ね、パラレルワールドがつくられる田中圭と吉田鋼太郎のコメディシリーズとして捉えられてしまう。シリーズ化することが作品の魅力を歪めてしまう。
この2点がどうしても許せなかった。

最後に

 S2発表後様々な人の意見を聞いたり、見たりする機会があった。悲しんだり怒ったりしている部分が人それぞれ異なっていて、その元となる連ドラおっさんずラブの魅力が多面的であることを改めて実感した。魅力が多面的であるため作品に対する期待も、人それぞれ異なっている。私はLGBT問題の扱い方やコメディを使って本質を伝える手法、関わる人が作品を大切にしているという部分(自分に都合が良い扱い方だっただけ)に惹かれていたし、続編にもそれを期待していた。だから裏切られたように感じたし、いわば失恋のようだった。S2の制作が決まった以上、自分の作品への期待とおっさんずラブシリーズが行く道が異なっていたと思うしかない。シリーズ化することによって失われたものがあっても、スタッフと一部キャストが続投することによっておっさんずラブの好きな部分はまだ残っている。S2に対しては別物としてポジティブでも、ネガティヴでもなく、田中圭の演技が好きだからちょっと楽しみな新ドラマくらいのスタンスで見守りたいと思う。

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