春田と牧の言動からみる #劇場版おっさんずラブ の三重構造
はじめに
「俺なーんにもわかってなかった。男同士ってさ結婚できないじゃん。法律的に。俺すげえ子供好きだからさ。そういうのとかいろいろ。」
このセリフを聞いた時とても驚いた。そしてなぜ春田がこのセリフを言ったのか、なぜそこに触れたのか分からず、無理に触れようとしているならそのことに怒りさえわいた。複数回見るうちに7回目でこのセリフを言うにいたる春田の感情を理解することができた。そしてこの映画の三重構造、本当に伝えたいことが見えた気がする。
この記事では春田と牧の花火大会のケンカまでの言動を2つの感情に分け、便宜上番号をつけて時系列順に整理したのち、この作品の持つ三重構造について考察する。
春田の言動
香港から帰国して、わんだほうへ直行し、鉄平兄とちずに「あいつすげえ変わった」と牧のグチをこぼす。(1)
黒唐揚げを作って牧を待つが、メールの返信がない(1) 。結婚するなら協力し合おうと言うが、本気で言ってます?焦らなくてもと言われる(2)。
母親へのカミングアウトを止められる(2)。実家の方が本社に近いしと春田家を出る牧を見送る(1)。
階段から落ちて運ばれた部長の病院でご家族ですか?と問われる(2)わんだほうにて部長が倒れても病院に来ない、家も出ていく。そんなに仕事が大事なのかと牧の愚痴をこぼす(1)ちずに夢を語る牧を見る(1)
牧が倒れるが春田には知らされない(2)、牧の病院に行くと狸穴が迎えに来ている(1)
牧母に(牧父が)男同士が気になるのかなってとこぼす(2)
狸穴からの「牧」「今夜会えないか」というメールを見る(1)
春田は作中で(1)の感情が嫉妬であったと認めており、爆破現場からの脱出時、牧に肩を組まれ歩く中で、牧にばかり夢があって毎日忙しそうで…と口にしている。仕事人としての夢を語る牧にも、牧に影響を与えた狸穴にも嫉妬していたと考えられる。
一方、(2)の感情は作中で明言していないものの、この記事の冒頭のセリフに繋がっていることが考えられる。
牧に結婚の話をするが、本気で言ってます?と問われ、春田母へのカミングアウトを止められる。この時の春田は牧との結婚にどんな問題があるか本当に何もわかっていなかった。だからこそ結婚という言葉を口にしたし、不用意に母にカミングアウトしようとしたと考えられる。
その後、牧が倒れるが春田には知らされない。部長が運ばれた病院ではい!と答えたご家族ですか?という問いにも答えられない、部長の病室で見せた安心した表情も牧には見せることができなかった。この経験を通して春田は牧とは法律で保障された結婚ができないことに改めて気付いたのだと考えられる。だから牧母にこぼしているように、牧父に別れてくれと言われた理由を男同士であることに求めている。(言動にない部分で言えば天空不動産で子供に手を振る場面やゆで五郎で見る幸せそうな親子の写真。大きなリアクションは無くともこの記事の冒頭のセリフを考えれば何か感じていたとしてもおかしくない)
以上が春田の言動から見る2つの感情の流れだ。軸として描いているのは(1)の嫉妬であるが、その影で(2)の感情の流れから春田は牧との結婚に対する問題に改めて気付いていく。春田のキャラクタービジュアルの言葉、「どうして好きだけじゃ、ダメなんだろう」はこの問題を指していると考えられる。
牧の言動
香港を訪れるが男と寝ている春田を見る(1)
帰国した春田のためにラタトゥイユを作って待つが、春田は連絡もなく、酔って帰ってくる。本社への異動を知らせていないことを責められる(1)
仕事が忙しく、春田からのメールを返す余裕がない。疲れて帰ってくるとうつ伏せで寝ている春田、汚れた台所、メールを返さないことを責められる(1)
結婚という言葉に結婚って本気で言ってます?と返す(1)(2)
春田母にカミングアウトしようとする春田を止める(2)。実家の方が本社に近いからと春田家を出る(1)
狸穴に同棲をやめたのかと問われ、大変なときに応援してもらえない、一緒に生活していくビジョンが見えないとこぼす(1)
(1)の感情の流れは炎の中での2人の誓いのシーンで「お互い嫌なところも見えてきて〜」と言葉にされている。牧が狸穴へこぼす言葉から、仕事を頑張りたいときにそれを理解してもらえない、牧のためを思っての春田の行動にも感謝ができない、その余裕がない、嫌なところが見えてしまう、支え合えてないのに結婚って本気で言ってるのか?こういった感情の流れがあり、牧は春田家を出たと考えられる。
(2)は言葉にされていないが、春田に「牧と本気で家族になりたかった」と言われた瞬間の表情から察することができる。性的指向を自認したときから牧にとって結婚は自分にはできないことだっただろう。だから春田に結婚と言われ、本気で言ってます?と聞いてしまうし、不用意に親に紹介する春田を止める。牧の中には春田と結婚というものの認識がズレていることへの問題意識があったと考えられる。
この記事の冒頭の春田のセリフを受けて、牧は炎の中で(1)、(2)両方について仕事を言い訳にして春田と向き合えなかったと口にする。その後の「深くなればなるほどもっと苦しくなる」という言葉は、春田母がちずと結ばれることを望んでいること、孫がほしいという言葉、ちずを抱きしめている春田を見た後に、春田を巻き込むことが「苦しい」と泣いた6話最後のシーンを踏まえると、春田との関係が深まるほど、一緒にいて楽しいことばかりじゃない、嫌なところが見える、その上春田と牧の間には同性同士という問題が横たわっている。その事実が苦しい。という感情の流れが考えられる。
以上が牧の言動から見る2つの感情の流れだ。明確に言葉にされているのは(1)で、(2)は言葉にされていない。しかし、牧のバックボーンを考えれば、なぜ言葉にしないのか理解できる。牧にとっては言葉にするまでもなく、26年間、結婚=自分にはできないことだったからだ。春田の場合と同じように主軸は(1)であり、その影に(2)がある。
「夢と家族」というテーマ
公開前にさまざまなインタビューで劇場版のテーマが「夢と家族」であることが明言されてきた。結ばれたもの同士が家族になるためにぶち当たる問題、そして社会人としての夢を両輪で描けたらと脚本家の徳尾さんは語っていた。
これまで整理した2人の感情の流れから夢を語る部分が(1)、家族を語る部分が(2)であると考えることができる。
2人の(1)の感情の流れからパートナーが夢を持って、仕事に邁進する姿を素直に応援できない(春田)、仕事を頑張りたいときにパートナーに応援してもらえない(牧)と悩みをまとめることができる。こういった悩みは年齢性別問わず、いわゆる普遍的な、生活を共にしようとするもの同士の中で生まれがちな問題と言えるだろう。見ている側が自分にも起こりうる具体的な問題として容易に想像ができる。
そして、2人はここを乗り越えることができた。春田は薫子に嫉妬という感情があったことを話し、最初から応援すればよかったと後悔する。何に嫉妬していたのか、自分にも夢があることに気づいたと牧に話している。ある意味この問題についてはここで解決していると言ってしまってもいい。
一方、(2)はどうだろう。2人が本当に結婚という戸籍上の契約を結ぶにはどうしたって今の日本社会がそれを阻んでいる。解決ができないのだ。2人がぶち当たっている壁はお互いの夢を応援し、支え合えない(1)ということではなく、同性婚が認められていないという現実(2)であると考えることができる。
連続ドラマとの違い
連続ドラマおっさんずラブは「恋愛の楽しさ、切なさ」を描いていた。同性同士だからこその切なさもあったが、非当事者の視聴者も自分に置き換えることができ、性別年齢問わず想像できる恋愛の楽しさ、切なさが丁寧に描かれていた。同様に劇場版では(1)が誰しもに起こりうる、想像できる問題として描かれている。劇場版もコメディで(1)の問題を包み、その解決のみで終わっていたらもっと共感を得られ、心情描写もわかりやすかっただろう。しかし、劇場版おっさんずラブは現実から目を背けなかった。
劇場版おっさんずラブの三重構造
連ドラのおっさんずラブは"優しい世界、ファンタジー"と評されることが多く、私もそう認識していた。少し先の未来がこうであればいいと思っていた。しかし、全くそうではなかった。2人はどうしようもなく今の日本を生きていて、現実と向き合っている。性別年齢問わず、誰しもがぶつかる問題のその奥に、同性婚が認められていないという2人にとってどうしようもない問題がきちんと描かれている。そしてそれを連ドラ同様むしろそれ以上と言えるコメディで包んでいる。この三重構造を持つ作品がとんでもない演技力を持つ俳優と愛あるスタッフによって誕生し、令和元年の夏全国で上映されているのだ。
最後に
春田と牧の結婚式も親への挨拶も指輪の交換も描かれなかった。今の日本でそれを描いたら、ファンタジーやifの世界として捉えられてしまうから。本当の意味で連ドラの続きならそれで良かった、それを見たかった人もたくさんいるだろう。でもおっさんずラブという作品がコメディという皮を被って本当に伝えたかったことは、愛するもの同士が生活を共にするときに性別年齢によってぶち当たるそれぞれの現実的な壁だった。年の差のあるマロと蝶子も、外国人と付き合っていたちずも、親と兄を亡くし、幸せになるのが怖いと言っていたジャスティスもそれぞれ自分と相手の持つ壁にぶつかっている。そして、春田と牧の前には同性婚が認められていないという社会的な壁がある。あのラストシーンの先、結婚式や親への挨拶を描くには今の日本が変わらないといけないのかもしれない。そしてこの三重構造を持つ映画が笑って泣けるエンターテイメント作品として、全国の映画館で楽しまれていることがその一助になるであろう。
おまけ
おっさんずラブ展の副題やオープニング曲タイトルの副題、フライヤーの裏に書かれていた"君を好きになってよかった"という言葉は、言わずもがな連ドラの"君に会えてよかった"と対応している言葉だ。
連ドラ7話で春田は"君に会えてよかった"と言葉にするが、劇場版では"君を好きになってよかった"と言葉にするシーンはない。でも、牧との思い出の道を1人で歩くオープニングとエンドロールの春田からこの言葉が滲み出ているように思う。春田は牧との間にある現実に向き合った上で"君を好きになってよかった"と清々しく歩くのだ。
全7話の連続ドラマで人を好きになることに向き合った春田が、劇場版では大切な人との間にある現実に向き合い、前を向いて歩く。なんて愛しい物語だろう。
0コメント